初セーリング            いるか                        波の模様

 

1996年8月。良く晴れた日曜日。私は、ヨットに乗船することになった。視力のない私にとってヨットに乗るなどということは、生まれてはじめてである。一番最初にこの話を聞いたときには、「興味と不安」が入り交じったような気がした。

 Kさんは、卓球クラブでおせわになっていたので知っていたが、海の上でのこと。相手が自然だけに少し迷った。しかし、興味と不安を天秤にかけたとき、私の心は「このチャンスを逃したら暫くはチャンスは巡っては来ないだろう」という結論に達した。

 結局迷いを断ち切り、私はヨットに乗った。私の他にT先輩とK先生がいっしょに乗った。波も風も穏やかな方だった。Kさんが「今日は絶好のセーリング日よりよ」と笑って言った。ヨットは、限られたスペースを上手に利用し、ベッドや机なども備え付けられていた。私はKさんに中を案内されながら、感心するばかりだった。視力がなくても、海風は肌で感じることができるし、潮の香りも味わえた。波の音とエンジンの音。和やかな笑い声。私の耳にそんな周囲の状況が少しずつ捕らえられはじめていた。人の顔は私には見えないが、声は聞こえる。優しくて高い声。聞き覚えのある声。驚きの声。どれも明るく弾んでいた。十にんあまりが乗船し、メンバーのスタンバイも整いはじめたようだった。私もやっとリラックスした気分になり、不安は取り除かれつつあった。    
                                                       いるか                                               







 「そろそろ出発しますよ」という声が私の耳に届いた。そして間もなく微かな動きが私の体に伝わった。そしてヨットは岸を離れた。ヨットの名前は、「サムライ」いかにも速そうな名前である。「サムライ号」は、滑り出し良く、波と風を受けて動きだした。雨が降りはじめ、救命胴衣が濡れはじめた。皆は、大慌てだったが、それが自然の流れならば逆らうこともできない。そうこうしているうちに、雨が止み、今度はお日様が照りはじめた。夏の終りを惜しむように私も潮風にふかれながら気を落ち着けていた。

 スピードが上がり、徐々に港の外に向かっているのが分かった。優しい人達は、私達にいろいろなことを説明してくれた。ヨットがスピードを増してくると、帆を上げる準備を始めた。「もう少し右だよ」とか「もう少し上だ」という声に併せて行なわれる全ての作業に私は感心するばかりだった。「ヨットって、もっとのんびりしたものだと思っていたでしょう。」と我々に話し掛けながら着々と準備を進める人達。手際の良さとチームワークの良さが小気味よい。そして間もなくエンジンが止められ、船内は静まりかえった。一瞬の沈黙が周囲に拡がった。「静かになったでしょう。今度は風だけの力で走っていますよ。」という誰かの声に相槌が討たれる。暫くは単調に進んでいた。

 「タッキング、スタンバイ」誰かの声が周りに告げる。すると、船体は傾きはじめた。「おおおっ」慣れない私達は声を上げた。乗りなれた人達は、平然としていた。「驚きましたか」笑いながら尋ねられて私達も笑った。「風の向きを上手に利用するためには、ヨットの向きも変えないと」と言いながら、私達に説明する。
 「サムライ号」は、絶好調。ヨットを次から次えと交わしながら、海の上を走っていった。
 航海を始めて1時間あまりが過ぎて、私達は来た道を戻りはじめた。波も風も思ったより穏やかだったし、「タッキング、スタンバイ」という言葉にも慣れてきた。「タッキング」と聞けば、体が自然に逆側の位置に移り、安全なポジションを保てるようにもなった。

 傾斜が大きくなると、私達の体の緊張度も高まる。そんなことを繰り返しているうちに、お互いに気配りをし、和やかな雰囲気に包まれた。

 「少し傾斜を緩めよう。そしてエンジンをかけて下さい。」すると、エンジンがかけられ、周りが騒がしくなった。スピードも前に比べて遅くなったようだ。 風の向きと波の音。優しい皆の声。私の心に心地よく響いた。そして暫くして、「もうそろそろ港に入りますので、ヨットの梶を取ってみてはどうですか。」という誰かの声にK先生が最初に梶を握った。先生は、慎重深く梶を取った。そして暫くの間、先生の操作によりヨットは進んでいった。「ジュースでも飲みますか?」という声に我に帰った私は、コップを手渡された。「ヨットの上でジュースが飲めるなんてこれが最初で最後かもしれない」と思いながら、心にこの気持ちを焼き付けていた。なにもかも初めての体験なので、私は感心ばかりしていた。「梶を取ってみるかい。」と先生が言ったので、私は先生に手を添えてもらい、梶を握った。少し動かしただけでも、方向は変わるので、緊張してしまったが「自分の手」によってヨットの向きが変えられていくのが体に感じられる度に心臓がどきどきした反面嬉しくも思えた。そして順番に梶を握り、ヨットを港へ向かわせていったのである。 やしの島






 ヨットは、無事に港に到着した。地面に立ったとき、なんともいえない満足感が心を満たしていた。私達が談笑していると、見知らぬ人が「お疲れ様でした」と優しく声を掛けてくれた。 見えないということは、何か物を触りながら歩いたり、誰かに手を引かれないと移動できないことが多い。それなのに、今私達は皆と同じように腰を下ろしている。そして、風と波を受けながら海の上にいる。そんな単純なことを誰もができるとは限らないのが今の原状である。それを私達は皆さんのお力添えにより、別の世界に踏み出したといってもよい。こんな素晴らしい体験のなかで私は、「見えなくても指示をしてくれる人さえいれば、意外なことにチャレンジできる」ということが分かったような気がした。

 「サムライ号」の乗組員の皆様方を始めとする関係者の方々のお力添えにより、私達は素晴らしい体験をさせていただいた。「障害を持つ」ということは、心も体も制限されつつ行動することが多くなる。それを「海の上を航海する」ということで「経験できなかったこと」を一つ適えて下さった。私達にとって、このような経験は貴重なものである。いろいろな人と知り合いになり、協力することによりなにかを達成するという喜びを少し分かりかけたように思う。将来的には「外国」で行なわれているような「視覚障害者」のヨットの大会などが行なわれるようになればと思う。「見えないからできることは確かに少ないかもしれない」でも、できないと決め付けるまえに「自分なりに努力」をしたいと気持ちを新たにするのであった。最後にもう一度皆様方に感謝の気持ちを伝えたい。


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